メコンデルタ
本当に バイクも多いです
トラックは アメリカサイズの大きなトラックも走ってます
信号は 少なく 交差点はロータリーの様に円形に回る 信号が無い ラウンドアバウト式が多く 多くの車やバイクが入り込んで混乱状態
日本人の僕には とても運転出来そうにありません(笑)
メコン川の支流が 入り組み 川幅が狭い所は 橋が架かってますが 後日 少し広めの川は 渡し船が頻繁に往来してる事を知りました
4時間半掛けて来た場所は ほぼ 日本人が 来ない様な 長閑な田園風景が広がる場所でした
車が止まった所には 簡単な雑貨が売ってる お店があり そこで従兄弟と 従兄弟の奥さんの出迎えを受け
親類が運転するバイクの後部座席に またがると 細い農道の様な道を数分
やっと 従兄弟の奥さんの実家に到着
(以降 従兄弟 Tさん 従兄弟の奥さん Nさん)
ウチのボロ屋より 立派な家でした 床がタイル張りなのは 向こうの基本みたい
Nさんの お父さんは 働き者で 家の周辺に 多くの田圃や畑を所有してるそうで 成功者の部類に入らなかな
大きな家には Nさん の兄弟夫婦も同居してるそうで 流石に一回では把握するは困難でした
家の中には 放し飼いの犬や鶏が居て 日本では考えられない重要な役目を持っている事を 後で知ります
Nさんの ご両親以外に 近くに住む 兄弟の方々も加わり どうやら夜は 僕の歓迎会が開かれる様でした
実は ここにも 後々 文化の違いを痛感させられる事になる羽目に…
家には いくつか部屋があり 立派な家でしたが ベトナムでも 田舎に属するエリア
調理場は今でも竃で煮炊きしてる様でした
一方 トイレは 家の外にある 池に掛かる コンクリートの橋の上
小さな囲いがある場所で用を足します
周りからは丸見え(笑)
下の池には魚が居て用を足すと 勢いよく魚が食べてる様でした( ̄▽ ̄)
拭いた紙は池には ほからず 専用の くずかごへ
雨が降っても 野ざらし
コンクリート橋から 落ちたらシャレになりません
いくつかある 部屋の中で 唯一 従兄弟のTさんや その息子の為にクーラーの付いた部屋が有ります
慣れない暑さに クーラーの効いた部屋は天国でした
そうこうしてるうちに暗くなり 宴が始まりました
ベトナムの家庭料理が テーブルに並べられました
ビールは 冷蔵庫が普及してないのか 一旦 氷の入った ピッチャーに入れ 冷やして各自に配れます
ビールは ハイネケンなど 外国産のビールも普通に飲めました
ベトナムでは 水以外 甘い飲み物が多く 氷で冷やして飲むビールは アルコール度数も低くなり 水の様に飲めます
宴会が進むと ベトナム人が飲む時の掛け声があるそうで 教えて貰いました
日本で言うなら 1.2.3.ダー ならぬ モン ハイ バー ヨーと叫ぶのです
皆さんが楽しんでくれてる様で 宴は 進み
肉料理など 食べた後 残った 骨を どうしようか 迷ってると 床にほかる様に言われました
そう 床に骨をほかると 放し飼いの犬がやって来て 綺麗に食べてくれるのです
文化の違いですねw
にぎわいの森
いなべ市の新庁舎に隣接する形で形成された商業施設が にぎわいの森です
にぎわいの森に到着したのは 9時を回っていました
その為 9時からオープンの 魔法のぱん屋さんは大行列
売り子の お姉さんが5時に焼き上がる食パンの整理券を配布するほどです
自分が食べたかったのはパンはパンでも食パンでは無く ロブいなべヒュッテのパンケーキでした
オープンは10時からでしたが 既に こちらにも 10人程度の行列が生まれてました
オープンを含め待つ事 30分
待ち時間の間にメニューを見せてもらい 色々 悩んだ挙句 決めたのは ブルーベリークリームチーズパンケーキでした♪
ブルーベリーの酸味と クリームチーズの 微かな塩気が相まって まいう〜
飲み物は 最近流行りのタピオカも有ったのですが 食べた後 さっぱりしたくて ハニーレモンモヒートを頼みましたが これも正解
美味しゅうございました♪
阿下喜(あげき)
楚原駅から 沿線に住宅地は疎らに少なくなり 田園風景が多くなります
途中の駅も少なくなり あっと言う間に 終点 阿下喜駅に到着
降り立ったた人は 俺を含め2名
シンプルな駅舎の改札口を通ろうと 駅員さんに パスを見せると 少し離れた 場所にある三岐線も利用出来るよ と教えてもらう
当然 そのつもりでパスを買ったけど 教えてもらった優しさに感謝
駅の側には コンビニもあり 広々としてるイメージです
因みに 阿下喜駅に隣接する形で 小さな軽便鉄道博物館があり そこには 開通当時 走ってた 電車や転車台と言われる 電車の向きを変える装置が移設され 当時の面影を残してました
軽便とは 日本で一番 幅が狭いレールのことを指します
日本に鉄道が入って来た頃には 主流で 日本各地で走ってた様で あの宮沢賢治の銀河鉄道の夜にも 描写があるそうです
しかし 人や物の流れが増え始まると 線路幅も大きくなり 車両も大型化化し 軽便鉄道は どんどん数を減らして行きました
現在は数カ所で営業運転してるのみですが その利便性は あの東京ディズニーランドの蒸気機関車にも受け継がれ ナローゲージの命脈を残してます
更に博物館の敷地 いっぱいに もっと小さなレールが敷かれており イベントが開かれるとミニ電車が走るそうで 将来の鉄ちゃん育成にも一役買ってるのかもしれませんね(笑)
最近の 実在する鉄道会社の知名度アップにと 鉄道むすめなるキャラクターが作られました
三岐鉄道にも三岐鉄道の制服を来た楚原れんげちゃんと言うキャラクターがあり 電車の前や横にワンポイントで描かれており 色んな 努力をされてる事が分かりました
北勢線
駅舎も 含め なんだか のんびりした時間が流れてる様に感じました
天気が悪いのが一番 気掛かりでしたが こればっかりは 心配し過ぎても始まらないので 車窓を楽しみつつ ローカル線の旅はスタート
住宅地の中を縫う様に進む電車
徐々に 周りから 家が無くなり 田園風景が広がり出します
でも 結構 途中で乗車して来る お客も居て 学生さんも多く乗って来ました
終点に近付く頃 目的地の楚原駅に到着
駅の周辺には コンビニも無く簡素な住宅街
学生さん達も ここで一斉に下車
学校が近くに有るんでしょうね
地図を見ながら ひねり橋を目指して 閑散とした 住宅地を歩いてると 古めの床屋さんを発見
何か視線を感じて 見上げてみたら 看板の上に 猫が居て 見下ろされてました(笑)
なんだか 長閑な空気感で癒されました
少し歩くと ねじり橋の看板を発見
無事に ねじり橋を発見
見事に北勢線の橋脚が 捻れてました
もう100年以上も経つのに全然 破損箇所が無い
昔の職人技の素晴らしさを痛感
ちょっと雨が降り出しましたが 幸い ねじり橋で雨宿り
雨が上がると 少し離れた場所に有る 三連のめがね橋へ
こちらも古さを感じましたが 現役で毎日 電車が通ってると思うと圧巻ですね
本当は 電車の通る所が見所なのですが 次の予定もあるので 今回は橋だけ撮って帰る事にし 次回の楽しみに取っておきます(笑)
第一歩
折角のビジネスなのに 飲んだ お酒のせいなのか いつのまにか寝てました( ̄▽ ̄)
とはいえ 起きても まだまだ ベトナムは 遠いですね
(飛行時間は約5時間)
遂に飛行機はホーチミンへ到着
スムーズなランディングで 滑走路へ着陸
飛行機から バスへ
むわっとする ホーチミンの空気
一気に気持ちは 南の国に
バスは ぎゅうぎゅう詰めで空港ターミナルへ
入管は ベトナムへ降り立った人々で大渋滞
並ぶ前にトイレを済ませたのは大正解でしたが 携帯の機能が 全く使えない事が発覚
いつのまにか 携帯の時間はベトナム時間で3Gに
海外あるある何でしょうけど 慣れてない自分は ドギマギ
従兄弟にも連絡が取れず 迎えに来てる 人たちとも 連絡が 取らない事で完全に 焦りました
無事に 入管をパスするも 何も分からない状態
幸い 手荷物だけで来たのは幸いでした
他の人の真似をして ドキドキしたまま 空港の出口へ
再び ベトナムの熱い空気が 身を包み 他の人を迎えに来た人の熱気も加われ 独特な雰囲気
なかなか 迎えに来た人を見つけられず ヒヤヒヤしましたが 無事に 合流
その中には 紹介されて彼女も
彼女は 照れ臭そうに してましたが 迎えに乗って来たタクシーへ
車は 大きなミニバン
内装も綺麗
クーラーも効いてて ホッと一息
迎えに来たのは 日本語の話せるベトナムの方が2名
あとは 紹介されてた彼女
彼女は終始 照れてました(笑)
ただ 彼女は 乗り物に弱く 大変だったみたいσ(^_^;)
空港から 向かったのは 従兄弟の奥さんの実家
ホーチミンから 南へ4時間以上
途中で 日本の昔のドライブイン的な所で 休暇
そこで 初めての体験
車の近くで 女性たちが帰ってくるのを待ってると 笠を被った おばさんが ベトナム語で 話し掛けて来ました
何を手に持って 見せて来ましたが 何を言ってるのか 分かるわけも無く 身振り手振りで断りました
実は ベトナムでは これが普通にある事で 宝くじを売ってるんです
今後 何処でも出くわします
女性や子供などの 仕事みたいです
冷たい水と 現地のお菓子を買い込み 再びスタートです