51歳の地図

人間五十年 下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり ならば 残りは余生(笑)

メコンデルタ

ホーチミン都心部を離れ どんどん 南下

 

本当に バイクも多いです

 

トラックは アメリカサイズの大きなトラックも走ってます

 

信号は 少なく 交差点はロータリーの様に円形に回る 信号が無い ラウンドアバウト式が多く 多くの車やバイクが入り込んで混乱状態

 

日本人の僕には とても運転出来そうにありません(笑)

 

ホーチミンの南は 所謂 メコンデルタ地帯

 

メコン川の支流が 入り組み 川幅が狭い所は 橋が架かってますが 後日 少し広めの川は 渡し船が頻繁に往来してる事を知りました

 

4時間半掛けて来た場所は ほぼ 日本人が 来ない様な 長閑な田園風景が広がる場所でした

 

車が止まった所には 簡単な雑貨が売ってる お店があり そこで従兄弟と 従兄弟の奥さんの出迎えを受け 

親類が運転するバイクの後部座席に またがると 細い農道の様な道を数分

 

やっと 従兄弟の奥さんの実家に到着

(以降 従兄弟 Tさん 従兄弟の奥さん Nさん)

 

ウチのボロ屋より 立派な家でした 床がタイル張りなのは 向こうの基本みたい

 

Nさんの お父さんは 働き者で 家の周辺に 多くの田圃や畑を所有してるそうで 成功者の部類に入らなかな

 

大きな家には Nさん の兄弟夫婦も同居してるそうで 流石に一回では把握するは困難でした

 

家の中には 放し飼いの犬や鶏が居て 日本では考えられない重要な役目を持っている事を 後で知ります

 

Nさんの ご両親以外に 近くに住む 兄弟の方々も加わり どうやら夜は 僕の歓迎会が開かれる様でした

 

実は ここにも 後々 文化の違いを痛感させられる事になる羽目に…

 

家には いくつか部屋があり 立派な家でしたが ベトナムでも 田舎に属するエリア

 

調理場は今でも竃で煮炊きしてる様でした

 

一方 トイレは 家の外にある 池に掛かる コンクリートの橋の上

 

小さな囲いがある場所で用を足します

 

周りからは丸見え(笑)

 

下の池には魚が居て用を足すと 勢いよく魚が食べてる様でした( ̄▽ ̄)

 

拭いた紙は池には ほからず 専用の くずかごへ

 

雨が降っても 野ざらし

 

コンクリート橋から 落ちたらシャレになりません

 

いくつかある 部屋の中で 唯一 従兄弟のTさんや その息子の為にクーラーの付いた部屋が有ります

 

慣れない暑さに クーラーの効いた部屋は天国でした

 

そうこうしてるうちに暗くなり 宴が始まりました

 

ベトナムの家庭料理が テーブルに並べられました

 

ビールは 冷蔵庫が普及してないのか 一旦 氷の入った ピッチャーに入れ 冷やして各自に配れます

 

ビールは ハイネケンなど 外国産のビールも普通に飲めました

 

ベトナムでは 水以外 甘い飲み物が多く 氷で冷やして飲むビールは アルコール度数も低くなり 水の様に飲めます

 

宴会が進むと ベトナム人が飲む時の掛け声があるそうで 教えて貰いました

 

日本で言うなら 1.2.3.ダー ならぬ モン ハイ バー ヨーと叫ぶのです

 

皆さんが楽しんでくれてる様で 宴は 進み 

 

肉料理など 食べた後 残った 骨を どうしようか 迷ってると 床にほかる様に言われました

 

そう 床に骨をほかると 放し飼いの犬がやって来て 綺麗に食べてくれるのです

 

文化の違いですねw

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